明治維新150年の今だからこそ知っておきたい幕末日本のスゴい取り組み(2)

| 新刊JP
『明治日本の産業革命遺産 ラストサムライの挑戦! 技術立国ニッポンはここから始まった』(集英社刊)の著者、岡田晃さん

今年2018年は「明治維新150周年」。
NHKの大河ドラマでは「西郷どん」が放送され、いつになく幕末から明治という時代に注目が集まっている。

ところで、この時代は日本が産業面や経済面で長足の発展を遂げた大成長の時代でもある。『明治日本の産業革命遺産 ラストサムライの挑戦! 技術立国ニッポンはここから始まった』(集英社刊)は、2015年にユネスコ世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼・造船・石炭産業」の歴史的意義を史料価値の高い当時の写真を交えて紐解くことで、幕末から明治の日本の実像に迫る。

今回は著者で経済評論家の岡田晃さんにインタビュー。幕末の日本で始まった近代化について、その一端を語っていただいた。その後編をお届けする。

■清国の敗戦に仰天!幕末の大名が軍備増強に踏み切ったワケ ――本にも書かれていましたが、日本の近代化の原動力となったのは西洋の進んだ軍事力と工業力を見せつけられることで生まれた危機感でした。この危機感を早い時期から持っていたのは、佐賀や薩摩、長州など西日本の藩に多かった印象です。

岡田:そうですね。特に九州には当時唯一の外国への窓口だった長崎がありますので、海外の情報が入りやすかったんです。そこへ中国でアヘン戦争が起きると、当時アジア最大の大帝国だった清がイギリスにいとも簡単にやられて、香港が植民地になってしまった。そういう情報が入ってきて西の方の藩は驚いたでしょうし、すぐ近くまでイギリスが来ているという脅威を感じていたはずです。実際、薩摩藩主だった島津斉彬はアヘン戦争の情報を事細かに集めていて、「阿片戦争聞書」という記録を遺しています。

また、ペリーが浦賀にやってくる前、1800年代に入った頃から九州の近海ではイギリスや他の国の船が頻繁に目撃されていましたし、今でいう西南諸島の小さな島にイギリス人が上陸して島民を襲ったという事件も起きていました。そういうことがあって自衛の必要を感じていたわけですが、どうやら向こうは鉄の大砲と巨大な蒸気船を持っているらしいと。

――軍事力で圧倒的に劣っていた。
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