そんな理不尽な!しょうもない理由で改名させられた鎌倉幕府の御家人・北条時連のエピソード

| Japaaan
そんな理不尽な!しょうもない理由で改名させられた鎌倉幕府の御家人・北条時連のエピソード

皆さんが生まれた時、その幸せな人生を願って素敵な名前をつけてもらったことと思います。その思いは古今東西変わりませんが、昔の人は人生の節目ごとに名前を変える「改名」がしばしばありました。

生まれた時は幼名、元服(成人)すれば諱(いみな。実名・本名)を授かり、普段呼び合うには字(あざな。通称)を使い、官位を受ければそれも名乗り、出家すれば法名を号し、いよいよ亡くなれば戒名がつけられ……と言った具合です。

しかし、時にはしょうもないor理不尽な理由で改名させられることもあり、今回は鎌倉幕府の御家人である北条五郎時連(ほうじょうの ごろうときつら)のエピソードを紹介したいと思います。

将軍御所の蹴鞠大会にて

時は鎌倉時代、亡き頼朝公の後継者として将軍職についた嫡男・源頼家(みなもとの よりいえ)公は政務を怠って蹴鞠や歌舞音曲に興じ、都かぶれや諂(へつらい)者を取り巻いてわがまま放題の振舞いが目立ち、心ある御家人たちは胸を痛めていました。

加藤真菅「桜下蹴鞠図(部分)」明治時代

そんな建仁二1202年6月25日、将軍の御所で蹴鞠大会が開催された時のこと。大会前に夕立があって、すぐにやんだものの庭の元木(※1)がぐしょぬれになってしまい、「これでは袖や裾が汚れてしまう」と皆が困っていました。

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