戦国「10大奇襲」秘聞(4)毛利元就「あなたについていきます」のデマ

| Asagei Biz
毛利元就

 名将・野村克也ではないが、かの時代にも戦国IDを駆使し、現代顔負けの「情報操作」「謀略戦」を展開する知将が存在していた。例えば、わずか4000の毛利元就(もうりもとなり)の軍が2万の陶晴賢(すえはるかた)の大軍を厳島(いつくしま)に急襲した「厳島の戦い」は、綿密な計略を巡らせた頭脳戦だったという。

「元就は、晴賢の大軍をあえて厳島という狭い島におびき出し、大軍を展開しづらくすることで多勢に無勢のハンデを跳ね返しました。陶氏から寝返った武将をわざと厳島に築城した宮ノ尾城に置いて、晴賢に『あいつら許せない』と思わせ、自分の重臣を陶側に内通させた。そうして二重スパイに仕立て、『毛利は厳島に城を造ったのは失敗だった』と言っているというデマを流したり、『陶氏が厳島に上陸した時には私は毛利を裏切りますよ』というウソの誓約書を書かせたりの、諜報・謀略戦を展開しています」(河合氏)

 圧倒的な戦力差にもかかわらず勝利できたのは、当時瀬戸内海を牛耳っていた村上水軍の応援もあったからだというが、房野氏は次のように自説を述べる。

「村上水軍がガッツリ毛利側と関係しているので、同じ瀬戸内育ちで父親の旧姓が村上の僕としては贔屓にしたい戦い。『中国地方を統一できますように』って神社に祈った家臣に『バカじゃねえの。日本全国を統一するって気概があって初めて中国地方を治められるんだよ』と。大望を抱いてこそ目の前のことができるという教訓とか、元就には名言絡みの伝説が多いですね」

 豊臣秀吉に仕えて天才軍師と言われた竹中半兵衛は、知略で主君から城を乗っ取ったことがある。いわゆる「稲葉山城乗っ取り」の一件である。

「主君の斎藤龍興(たつおき)は、色白で女性のような優男である半兵衛をバカにしていて、一部の重臣の言うことばかりを聞いて酒や女にふけるばかり。このままでは御家のためにならないということで、半兵衛は龍興の居城である稲葉山城(のちの岐阜城)に、当時人質に入れていた弟の重矩(しげのり)の病気見舞いを口実に、家臣十数人と武器を入れた長持ちなどを城に持ち込み、たちまちのうちに城を制圧してしまいます」(河合氏)

 この稲葉城乗っ取りと同じような奇襲は他にもあると、河合氏は続ける。

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