甲斐国(現:山梨県)の戦国大名として知られる武田信玄(たけだ しんげん。晴信)公の正室として知られる三条(さんじょう)夫人。
高貴な公家の娘として京都から地方へ嫁いで来た(周囲を田舎者と見下している?)からか、創作ではとかく高飛車なキャラに描かれ、いささか辟易した信玄公が諏訪御料人(すわごりょうにん)をはじめとする優しく美しい側室たちに心惹かれ……となりがちです。
しかし、史料を見る限り三条夫人についてそのような言動は遺されておらず、むしろ春の陽光を思わせる穏やかで温かな人柄や、信玄公との仲睦まじさが伝えられています。
彼女も戦国女性の例に洩れずと言うべきか、苦難や悲痛に満ちた人生を辿りましたが、それでも健気に信玄公を最期まで支え続けました。
今回は、そんな三条夫人のエピソードを紹介したいと思います。
幸せな新婚生活、5人の子供に恵まれるが……三条夫人は大永元1521年、三条公頼(さんじょう きんより)の次女として京都で生まれます(本名や母親は不明)。
三条家は摂関家に次ぐ名門中の名門(清華家)で、公頼も左大臣という高位にあったものの、戦国乱世にあって生活は苦しく、他家と同じく娘を地方の守護大名に嫁がせることで経済支援を受けていました。