これも戦国女性の定め…相次ぐ悲劇の中、最期まで武田信玄を支え続けた三条夫人 (3/4ページ)
父・三条公頼が周防国(現:山口県東部)の大名・大内義隆(おおうち よしたか)の元へ身を寄せていたところ、その重臣・陶隆房(すえ たかふさ)の謀叛が起こした謀叛に巻き込まれ、命を落としてしまいます。
続く天文二十二1553年には三郎が11歳で夭折、永禄十1567年には嫡男の太郎が謀叛の疑いによって切腹させられてしまいました(享年30歳)。幼い我が子を喪うのは辛いものですが、立派に育て上げ、将来を楽しみにしていた我が子を喪うのも、また違う哀しみと言えるでしょう。
永禄十一1568年には信玄公が駿河国(現:静岡県東部)の今川氏真(いまがわ うじざね)を攻めたことによって武田(甲斐)・北条(相模)・今川(駿河)の三国同盟が破綻。
政略結婚のため(天文二十三1554年から)北条の元へ嫁いでいた長女は、仲睦まじかった夫・北条氏政(ほうじょう うじまさ)と引き裂かれ、永禄十二1569年、傷心の内に亡くなってしまいました(享年27歳)。
相次いで子供たちを喪った三条夫人は、盲目の次男・竜芳と重臣・穴山梅雪(あなやま ばいせつ)に嫁いだ次女の身を案じながらも病魔に侵されていた信玄公を支え続けます。