織田信秀の庶子として生まれた「織田信広(おだのぶひろ)」は、弟である織田信長に仕えた。今回は【前編】に引き続き、織田信広の生涯をご紹介する。
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1556年。信広は信長と敵対していた美濃国(現在の岐阜県)の斉藤義龍(道三の息子)と手を組み謀反を企てる。
信広は自らが後詰め(控え軍)として信長の居城である清洲城に入ることを利用し、城の乗っ取り作戦を計画。しかし、計画は信長方に漏洩しており失敗。信広は表立って信長に敵対し、数度の抗戦を試みるも程なくして降伏した。
弟の信行を殺害していた信長であったが、信広は赦免している。
信広が討死した長島一向一揆を描いた歌川芳員『太平記長嶋合戦』図(Wikipediaより)
信長に尽力以後は信長によく仕えた。一説には織田の姓を名乗らず「津田」姓を名乗ったという。