幕末の動乱が最高潮に達していた1868年1月。京都近郊で、江戸幕府軍1万5千と明治政府軍5千が激突しました。いわゆる鳥羽伏見の戦いです。
数の上では優位にあった幕府軍ですが、結果は惨敗。敗因は色々ありますが、藤堂家の部隊が、幕府側から明治政府側に寝返ったことが決定的でした。
その影響もあってか、今日でも否定的に描かれることの多い藤堂家の始祖・藤堂高虎。しかしその足跡を追ってみると、変節漢どころかむしろ義理堅い苦労人という人物像が浮かび上がってきます。
そしてその生き様からは、現代を生きる我々が参考にすべきキャリア開発やフォロワーシップを学ぶことができるのです。
前回の記事はこちらから
主君を次々と変えた変節漢?身長190cmを超す規格外の巨漢武将・藤堂高虎【前編】新たに主君となった織田信澄(おだのぶずみ)の下で、高虎はなんだかんだで活躍をします。そしてその活躍を認められ、親衛隊に抜擢されることになるのです。