どんな無理でも通してみせる!戦国時代、武田信玄に仕えた武士・縄無理之助

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どんな無理でも通してみせる!戦国時代、武田信玄に仕えた武士・縄無理之助

戦国時代、激しい戦いの打ち続く乱世にあって、生き残るためには知勇の軍略は元より、自分自身のブランディング(ある種のハッタリ)も大いに有効でした。

※「日ごろはパッとしないけど、ここ一番で実力を発揮する」というタイプはフィクションだとカッコいいのですが、そもそも無用の喧嘩を吹っかけられないに越したことはなく、いざ戦うにしても相手を気圧したり、周囲を味方につけたりなど有利に運びます。

とかく「ナメられたら終わり」を地で生きていた戦国武将たちは、奇抜ないでたちや豪胆な振る舞いを競うようになり、これが後に「傾奇者(かぶきもの)」文化につながっていくのでした。

見るからにキャラが濃そうな武田家中の名将たち。土佐光貞「武田二十四将図」より。

こと「甲斐の虎」と恐れられた戦国大名・武田(たけだ)家中にはこうした偏屈者が集まったそうで、今回はそんな一人である縄無理之助(なわ むりのすけ)こと那波宗安(なわ むねやす)のエピソードを紹介したいと思います。

「我が無理を止めることならぬ!」縄の陣羽織がトレードマーク

那波宗安は生年不詳、上野国那波郡(現:群馬県伊勢崎市辺り)の領主・那波駿河守顕宗(するがのかみ あきむね。

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