永らく続いた戦国時代を終わらせ、天下統一を果たした豊臣秀吉。しかしその覇業は、正室・北政所ねねがいたからこそ成し遂げることができました。
北政所ねねの生涯については、さまざまに語られています。今回は、豊臣秀吉の補佐役として豊臣家を支えた彼女の活躍を紹介しましょう。
ねねとの結婚が出世のきっかけとなった豊臣秀吉。(写真:秀吉清正記念館)
北政所ねねは、織田信長の家臣・杉原定利の次女として生まれ、1561年頃、藤吉郎と名乗っていた秀吉と結婚します。
当時としては珍しい恋愛結婚といわれ、ねね14歳、秀吉24歳の時でした。
ねねと出会った頃の秀吉は、信長の足軽に過ぎず、土豪とはいえれっきとした武士である杉原家の娘との結婚には、さまざまな問題がありました。
特に、ねねの母・朝日殿は猛反対。しかし、ねねは自分の信念を曲げずに藤吉郎と結ばれたのです。この後、藤吉郎は杉原家の親戚である木下の姓を名乗ることになります。
主君・信長からも可愛がられたねねねねとの結婚が、藤吉郎の運命を定めたことは間違いないでしょう。この時期から秀吉は、信長のもとで出世街道を歩んでいきます。