秀吉だけでは天下取りはできなかった! 豊臣秀吉を支えた名補佐役・北政所ねねの手腕【前編】 (3/4ページ)
秀吉が初めて城持ち大名となった時の居城・長浜城跡。(写真:ウイキペディア)
この手紙から察せられるのは、信長のねねに対する溢れるばかりの親密感です。このことからも秀吉の出世には、ねねの存在が不可欠であったことが理解できるでしょう。
ねねの持つ天性の魅力が多くの人を惹きつけた信長に目をかけられたように、ねねには人の心を惹きつける天性の魅力があったのかもしれません。それを物語るような史実がたくさんあります。
豊臣家中の人々を管理、豊臣政権を内部から支えた秀吉が大名から天下人へと上り詰めるにつれ、豊臣家には家臣団はもちろん、その他にも多くの人々が属することになります。
その中には、羽柴秀勝、結城秀康など織田家や徳川家をはじめとする諸大名から迎えた多くの養子がいました。
また、親戚の中からも、加藤清正、福島正則など、才能ある子どもを将来の幹部候補生として養育していたのです。
さらに、20人近いと推測される秀吉の側室やその付き人、人質として預かっていた諸大名の妻子など、数えきれないほどの人々が豊臣家におり、その管理はねねに一任されていました。