永らく続いた戦国時代を終わらせ、天下統一を果たした豊臣秀吉。しかしその覇業は、正室ねね(北政所)がいたからこそ成し遂げることができました。
後編は、豊臣政権下で朝廷、大名、仏教勢力との交渉にねねが振るった手腕と豊臣家滅亡に対し、彼女がとった行動についてご紹介しましょう。
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秀吉だけでは天下取りはできなかった! 豊臣秀吉を支えた名補佐役・北政所ねねの手腕【前編】 豊臣政権を支えた政治的手腕秀吉の側室や女房衆、諸大名からの人質・養子などの管理を一手に引き受け、豊臣家中を内部から支えた北政所ねね。しかし、彼女の働きはそれだけにとどまりませんでした。
ねねは、その才覚を政治分野にも発揮しました。秀吉がはじめて城持ち大名となった長浜時代にこんな実話があります。秀吉が中国方面に出陣中、領主である秀吉が出した法令を取消し、新たに自分の名で命令を発しています。