秀吉だけでは天下取りはできなかった! 豊臣秀吉を支えた名補佐役・北政所ねねの手腕【後編】 (2/4ページ)

Japaaan

また、秀吉が関白になると、朝廷との関係業務はねねが担当します。低い身分から天下人となった秀吉は、朝廷から与えられた摂関家という権威で、政権運営を進めていました。

彼女は積極的に内裏に足を運び、朝廷との難しい交渉をまとめ上げていきました。豊臣家が摂関家として天皇や公家から認められ、良好な関係を構築したのは、こうした働きが大きかったのです。

 秀吉に豊臣姓を賜った正親町天皇。(写真:ウイキペディア)

大名や仏教勢力の統制にも手腕を発揮

天下統一を果たしたとはいえ、豊臣政権は決して盤石な状態ではありませんでした。江戸幕府のような徹底した大名統制策と直轄領を持たないため、全国には野心満々、あわよくば豊臣家にとって代わろうとする大名たちがいたのです。

秀吉は、摂関家という権威で大名たちを抑え、ねねはトップレディとして交流関係を武器に秀吉の大名統制をサポートしました。伊達政宗、佐竹義宣などの大名たち、前田利家の妻お松などと親密な関係を築いていたことはよく知られています。

また当時、最大の仏教勢力である本願寺に対しては、宗主顕如の妻と連絡を密にし、対立を未然に防ぎました。

「秀吉だけでは天下取りはできなかった! 豊臣秀吉を支えた名補佐役・北政所ねねの手腕【後編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、北政所戦国時代豊臣秀吉カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る