下剋上の嵐が吹き荒れ、血で血を洗う死闘が繰り広げられた戦国時代。中には生き残るため、あっちを裏切り、こっちに従い……と叛服(はんぷく)常無き者もいましたが、やはり裏切りは武士道に悖(もと)る行為として忌避されていました。
今回は近江国(現:滋賀県)の戦国大名・浅井(あざい)氏に仕えた浅井井規(あざい いのり。以下、井規)のエピソードを紹介したいと思います。
浅井井規は生年不詳、浅井氏の一門衆で今浜菅浦(現:長浜市)の代官を務めた浅井井伴(いとも)の子として誕生しました。主君・浅井長政(ながまさ)とは再従兄弟(またいとこ、はとこ)の関係になります。
祖父・浅井井演(いひろ)は永禄4年(1561年)に築かれた横山城(現:長浜市)の城代を任されており、主君より篤く信頼されていたことが察せられます。
元亀元年(1570年)ごろには長男の浅井井頼(いより。喜八郎)も生まれ、いよいよ奉公にも熱が入ろうというところへ、にわかに暗雲が立ち込めてきたのでした。