本能寺の変(天正10・1582年)で横死した織田信長(おだ のぶなが)の覇業を継ぐべく、重臣の羽柴秀吉(はしば ひでよし)と柴田勝家(しばた かついえ)が争った賤ヶ岳の合戦(天正11・1583年)。
ここで先陣を切った秀吉子飼いの精鋭で、後世「賤ヶ岳の七本槍(しずがたけ しちほんやり)」と称えられた勇士の一人・平野長泰(ひらの ながやす。権平)ですが、彼は同僚6名と異なり、生涯を通して大名(一万石以上の石高)になることはありませんでした。
しかし、そんな長泰も決して出世の機会がなかった訳ではなく、あえて好条件を蹴ってしまったこともあるようです。
今回は武士道のバイブルとも言われる『葉隠(はがくれ。葉隠聞書)』より、平野長泰の痛快?なエピソードを紹介したいと思います。