源氏再興の志半ばに…平安末期、兄・源頼朝との再会を果たせず散った源希義の悲劇

| Japaaan
源氏再興の志半ばに…平安末期、兄・源頼朝との再会を果たせず散った源希義の悲劇

時は平安末期の治承4年(1180年)、20年の雌伏を経て、源頼朝(みなもとの よりとも)公が平家討伐の兵を挙げました。

「今こそ、源氏を再興すべし!」

源氏の嫡流(自称)を再興すべく、旗揚げした頼朝公。歌川国芳「本朝武優鏡 源頼朝」

当時、各地に散らばっていた頼朝公の弟たちもこれに呼応、こと異母弟の源範頼(のりより)や源義経(よしつね)らの活躍(そして悲劇)は有名ですね。

一方、頼朝公の弟として決起したものの、その志を遂げることなく討たれてしまった者もいました。今回はそんな一人、源希義(みなもとの まれよし)のエピソードを紹介したいと思います。

遠く土佐国へ流されて……

源希義は仁平2年(1152年)、源義朝(よしとも)の五男として誕生しました。母親は頼朝公と同じ由良御前(ゆらごぜん。熱田神宮宮司の娘)です。

平治元年(1160年)に勃発した平治の乱に敗れた父や長兄・源義平(よしひら)たちが処刑・暗殺されると、当時9歳だった希義は土佐国介良(けら。

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