「不謹慎」発言も本気の本気
1923(大正12)年9月1日、関東大震災が発生しました。死者・行方不明者あわせて10万人が犠牲になった巨大地震です。
先般の東日本大震災では、公人私人を問わず「不謹慎」な発言な発言をした人がネット上などで叩かれる光景をよく目の当たりにしましたね。
ところがこの関東大震災では、「不謹慎」な発言を堂々と復興計画書の中に記して、そして壊滅状態にあった帝都・東京を本当に蘇らせてしまった人物がいたのです。
その人物の名は、後藤新平(ごとうしんぺい)[1857~1929]。
彼は震災の翌日に作った『帝都復興ノ議』という文書の中で、「震災を理想的帝都建設の為真に絶好の機会」だとする文言を書き込んでいました。
現代だったら、これは「炎上」すること間違いなしです。
しかし後藤は、冗談や軽口でそう書いたのではありません。本気の本気だったのです。当時の政府で東京復興を任された後藤は、当時の国家予算の二倍の額である「30億円」の予算を提案し、土地を買収して区画整理を行う計画をぶち上げました。
彼はなぜ、こんな大胆な計画を立てられたのでしょうか。
実は、後藤は以前から「理想的帝都建設」の準備を進めていたのです。
この記事では、後藤がそのような構想をするに至った経緯と、その結果について辿ってみたいと思います。
医師として、そして統治者として後藤の大胆な「理想的帝都建設」構想の源流を知るためには、まず彼の経歴を見る必要があります。
もともと彼は医者でした。