今までずっと頑張って来たのに、心ない中傷からその誠意を疑われた……そんな経験、皆さんにはあるでしょうか。
日本史を振り返ってみると、多くの忠臣たちが讒言によって謀叛を疑われ、その対応一つで粛清の憂き目を見てきました。
実際に謀叛を企んでいたのであればまだ諦めもつきましょうが、まったくの濡れ衣だった場合、たとえ無実が証明されても憤懣やる方ありませんね。
しかし、そんな状況でもピンチをチャンスに変え、謀叛の噂によって却ってその名を高めた者もいました。
今回はそんな一人、鎌倉武士の鑑として名を馳せた畠山重忠(はたけやま しげただ)のエピソードを紹介したいと思います。
あの重忠に謀叛の疑い?畠山重忠は平安時代末期の長寛2年(1164年)、現在の埼玉県深谷市に当たる武蔵国男衾郡畠山郷の豪族・畠山重能(しげよし)の子として誕生しました。
治承4年(1180年)8月の頼朝公挙兵に際しては、京都大番役で不在の父に代わって17歳で軍勢を率い、紆余曲折の末に源頼朝(みなもとの よりとも)公に仕えます。