【鎌倉殿の13人】カッコよすぎる!謀叛容疑のピンチをチャンスに変えた畠山重忠の堂々たる答弁がコチラ

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【鎌倉殿の13人】カッコよすぎる!謀叛容疑のピンチをチャンスに変えた畠山重忠の堂々たる答弁がコチラ

今までずっと頑張って来たのに、心ない中傷からその誠意を疑われた……そんな経験、皆さんにはあるでしょうか。

日本史を振り返ってみると、多くの忠臣たちが讒言によって謀叛を疑われ、その対応一つで粛清の憂き目を見てきました。

実際に謀叛を企んでいたのであればまだ諦めもつきましょうが、まったくの濡れ衣だった場合、たとえ無実が証明されても憤懣やる方ありませんね。

しかし、そんな状況でもピンチをチャンスに変え、謀叛の噂によって却ってその名を高めた者もいました。

菊池容斎『前賢故実』より、畠山重忠肖像

今回はそんな一人、鎌倉武士の鑑として名を馳せた畠山重忠(はたけやま しげただ)のエピソードを紹介したいと思います。

あの重忠に謀叛の疑い?

畠山重忠は平安時代末期の長寛2年(1164年)、現在の埼玉県深谷市に当たる武蔵国男衾郡畠山郷の豪族・畠山重能(しげよし)の子として誕生しました。

治承4年(1180年)8月の頼朝公挙兵に際しては、京都大番役で不在の父に代わって17歳で軍勢を率い、紆余曲折の末に源頼朝(みなもとの よりとも)公に仕えます。

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