真田幸村(信繁)の妻たち
大河ドラマで有名になった真田幸村こと真田信繁は、関ヶ原で西軍に与したことから不遇の人生を送っています。
しかし不思議なほど人間関係には恵まれていました。
関ヶ原の合戦で父昌幸と共に西軍に味方した信繁は、改易となり紀州九度山に配流となります。
妻たちも随行し、苦しい生活を強いられましたが夫を支え続けました。この頃、信繁は生活のために借金を重ねていたという記録が残っています。
信繁は4人の妻との間に12人の子をもうけていますが、その多くは紀州九度山に配流されてから生まれています。すごいですね。
最初の妻は、家臣・堀田作兵衛の妹(娘とも言われています)で、一般的には梅という名で知られていますが、実名や生没年は不明です。
信繁と梅が結婚したのはまだ信濃にいた頃で、彼は梅との間に生まれた長女をとても気にかけていました。嫁ぎ先に「娘が、心に叶わぬ者であっても、お見捨てなきようにお願い致す」という書状を九度山から送ったという逸話が残っています。
また、信繁は家臣・高梨内記の娘を側室としており、次女をもうけています。三女もこの妻との間の子ではないかといわれています。
一方で、彼の正室は大谷吉継の娘・竹林院です。