歴史には謎がつきもの。
史料や証言から「その時なにがあったのか」に思いを巡らせるのが歴史の醍醐味の一つだが、古代となると史料は限られ、想像は難しい。
江戸時代から論争になっている「邪馬台国の場所」はその最たるもの。日本最古の書物とされる「古事記」でさえ書かれたのは8世紀であり、邪馬台国があったとされる3世紀のことを書き記した書物は日本にはない。
『魏志倭人伝と大和朝廷の成立』(藤田洋一著、幻冬舎刊)は当時のことを知るための唯一の手がかりである「魏志倭人伝」を紐解いて、邪馬台国の場所と日本のルーツについての新説を提唱する。今回は「邪馬台国は大和にあった」とする自説の着想について、著者の藤田洋一さんが語るインタビューの後編だ。
■現在の日本人のルーツは「南朝鮮」にあり――第2部の大和朝廷の成り立ちについては「フィクション」とされています。このフィクションを作り上げたプロセスについて教えていただければと思います。
藤田:きっかけは韓国ドラマの「朱蒙」を見て、のちに百済を建国した朱蒙の一族の旗が「3本足の烏」であることに気づいたこと。そして大和朝廷にも「3本足の烏」の旗があったこと。大和朝廷と百済が親密な関係にあったようだと考えられることが私のフィクションの原点です。
もう一つは「魏志倭人伝」に「狗奴国」という国が出てくるのですが、この狗奴国が邪馬台国と争っていたんです。それで卑弥呼の邪馬台国は魏に援軍を求めたのですが、断られたということが書かれている。ただ、その結末がどうなったかは書かれていないんです。その空白への想像力も創作のきっかけになりました。
――藤田さんはこの戦いの結末はどうなったと考えていますか?
藤田:私は狗奴国が勝った可能性が高いと考えています。