9月9日は重陽の節句。重陽(ちょうよう)とは陰陽思想にもとづく陽(奇数)の最大数である9が重なることを言います。
この時期は暑い夏を乗り越えた疲労が溜まって心身の調子を崩しやすいことから、邪気払いとして節句を祝い、薬効のある菊酒を呑むなど心身を整えるのです。
ところで、別名「菊の節句」とも呼ばれるこのお祝いを、鎌倉殿や御家人たちも楽しんでいたのでしょうか。
今回は鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』より、彼らが9月9日をどう過ごしていたのか紹介したいと思います。
菊の花どころじゃない挙兵直後『吾妻鏡』は伊豆に流されていた源頼朝(演:大泉洋)が挙兵した平安末期の治承4年(1180年)から第6代将軍・宗尊親王(むねたかしんのう)が退位する文永3年(1266年)までの80数年を書いた記録書。
ここでは頼朝の挙兵から2代将軍・源頼家(演:金子大地)の代まで見ていきましょう。