鎌倉殿の9月9日…頼朝や義時たちも菊の節句を楽しんでたの?『吾妻鏡』を読んでみました【鎌倉殿の13人】 (2/6ページ)

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石橋山の合戦に敗れ、身を潜める頼朝たち。当然、花鳥風月など愛でる余裕はなさげ。

治承4年(1180年)9月9日。この時、頼朝らはまだ鎌倉入りするどころか、石橋山の合戦に敗れて再起を図るため房総半島におりました。

盛長自千葉歸參申云。至常胤之門前。案内之處。不經幾程招請于客亭。常胤兼以在彼座。子息胤正胤頼等在座傍。常胤具雖聞盛長之所述。暫不發言。只如眠。而件兩息同音云。武衛興虎牙跡。鎭狼唳給。縡最初有其召。服應何及猶豫儀哉。早可被献領状之奉者。常胤云。心中領状更無異儀。令興源家中絶跡給之條。感涙遮眼。非言語之所覃也者。其後有盃酒次。當時御居所非指要害地。又非御曩跡。速可令出相摸國鎌倉給。常胤相率門客等。爲御迎可參向之由申之。

※『吾妻鏡』治承4年(1180年)9月9日条

ざっくり言うと安達盛長(演:野添義弘)が千葉介常胤(演:岡本信人)の元から戻って「喜んで味方します。すぐに合流しますから早く鎌倉へ行きましょう」という返事を持って来ました。

さすがに生きるか死ぬかも定かならぬ状況下で、優雅に菊の花を愛でている余裕なんてなかったことでしょう。

その後、鎌倉入りして坂東に勢力基盤を固めた頼朝。

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