鎌倉殿の9月9日…頼朝や義時たちも菊の節句を楽しんでたの?『吾妻鏡』を読んでみました【鎌倉殿の13人】 (4/6ページ)
※『吾妻鏡』文治3年(1187年)9月9日条
「おぉ、これは見事じゃのぅ」
「実に美しゅうございますね……」
頼朝は妻の政子(演:小池栄子)と共に比企邸を訪れ、三浦義澄(演:佐藤B作)や足立遠元(演:大野泰広)らの宿老も同行。
その日は夜まで酒宴を開き、大いに盛り上がったということです。
こうして始まった鎌倉での重陽節。文治5年(1189年)からは鶴岡八幡宮で臨時祭が執り行われるようになりました(ただしこの年は奥州へ遠征中)。
臨時祭では流鏑馬や競馬(くらべうま)、相撲(すまい)などの奉納試合が行われ、大いに盛り上がったことでしょう。
菊の節句も悪くないかも。頼家の気づき頼朝が亡くなった正治元年(1199年。建久10年)9月9日は大江広元(演:栗原英雄)が代理で奉幣、翌年も頼家は欠席して北条泰時(演:坂口健太郎)が代参しました。
あまり重陽の節句(というより伝統的な年中行事)に興味がなかったようですが、建仁元年(1201年)9月9日、頼家は御所で重陽の節句を祝っています。
……頃之左金吾出御〔烏帽子。直衣〕。其後有勸盃之儀。給御盃於行景。此間被仰云。爲蹴鞠師範。招請之處。適迎重陽日。始遂對面。故猶前庭以籬菊浮盃。永可契万年者。行景跪盃。金吾自取銀釼。令与之給。
※『吾妻鏡』建仁元年(1201年)9月9日条
頼家は蹴鞠の師匠として招いた紀行景(きの ゆきかげ)と酒を酌み交わしました。