関ヶ原の戦いでは、西軍に与した大名たちは戦いに加わったか否かの関係なしに改易や減封といった何かしらの処罰を受けました。
しかし、中には西軍にもかかわらず、加増された大名たちが何人かいました。
彼らは関ヶ原の戦いの最中にどのような働きを見せたのでしょうか。今回は加増を受けた2人の西軍の大名がどんな働きを見せたのか紹介します。
豊臣と徳川のパイプ役となった片桐且元最初に紹介する人物は、片桐且元(かたぎり-かつもと)です。
且元は浅井長政の家臣でしたが、浅井氏滅亡の後に豊臣秀吉に仕えます。その後は秀吉の家臣として、天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いで一番槍の功績により「賤ヶ岳の七本槍」に数えられるほどの活躍をしました。
また、大坂の陣の発端となった方広寺を建築した人物としても知られています。
慶長3年(1598)には豊臣秀頼の補佐役の1人に選ばれ、直接意見を言える重要な立場を与えられました。それほど且元が豊臣政権に必要な存在だったことがうかがえます。