関ヶ原の戦い後、敗れた西軍にもかかわらず領地の加増を受けた2人の大名は誰? (2/4ページ)
慶長5年(1600)に起きた関ヶ原の戦いでは西軍に与し、大津城の戦いで家臣を派遣しました。西軍敗北後は、長女を人質として徳川家康に差し出し、豊臣と徳川両家の調整に奔走。
その功績により、それまで有していた1万石から1万8000石の加増を受け、2万8000石を有するまでに至りました。
また、同年には且元と同じく秀頼の補佐役の1人である小出秀政と共に豊臣家の家老に抜擢されます。
以後、且元は江戸幕府の政治を秀頼の代わりに協力と承認する立場となり、大坂総奉行と呼ばれました。
慶長9年(1604)に秀政が亡くなると唯一の家老となり、豊臣家の外交と財政を一手に担いました。
そのため、淀君から「秀頼の親代わりになってほしい」との手紙が残されているくらい信頼されていたことがわかります。