まず名称が違う
歴史上、日本がモンゴルと戦った事件といえば、今でも多くの人が「元寇(げんこう)」という言葉を思い浮かべるでしょう。
今回はこの「元寇」という言葉の扱いと、世界史的な視野で見た場合の、当時のモンゴルとの戦闘の実態について解説します。
モンゴル、もとい当時の元帝国は北九州へ二回侵攻しています。1274(文永1)年の文永の役、1281(弘安4)年の弘安の役です。かつては、これらを総称して「元寇」と説明していました。
元寇という言葉は、江戸時代にかの徳川光圀が編纂した『大日本史』の中で使われた言葉です。
ではモンゴルとの戦闘があった13世紀当時はどうだったかというと、その頃は元寇とは呼ばれておらず、史料的には蒙古合戦や異国合戦という表現が一般的でした。