「元寇」は北海道や沖縄でも起きていた!実は”神風神話”もフィクション?近年の歴史解釈を紹介 (1/4ページ)

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「元寇」は北海道や沖縄でも起きていた!実は”神風神話”もフィクション?近年の歴史解釈を紹介

まず名称が違う

歴史上、日本がモンゴルと戦った事件といえば、今でも多くの人が「元寇(げんこう)」という言葉を思い浮かべるでしょう。

対応をミスった鎌倉幕府。モンゴル・高麗による日本侵攻「元寇」は神風がなくても防げた?

今回はこの「元寇」という言葉の扱いと、世界史的な視野で見た場合の、当時のモンゴルとの戦闘の実態について解説します。

蒙古襲来絵詞前巻、絵七。文永の役の様子が描かれている(Wikipediaより)

モンゴル、もとい当時の元帝国は北九州へ二回侵攻しています。1274(文永1)年の文永の役、1281(弘安4)年の弘安の役です。かつては、これらを総称して「元寇」と説明していました。

元寇という言葉は、江戸時代にかの徳川光圀が編纂した『大日本史』の中で使われた言葉です。

ではモンゴルとの戦闘があった13世紀当時はどうだったかというと、その頃は元寇とは呼ばれておらず、史料的には蒙古合戦異国合戦という表現が一般的でした。

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