天保の改革は、老中・水野忠邦が主導した幕府の財政再建策です。この改革は、幕府の危機を救うはずでしたが、結果として失敗に終わり、庶民の生活を苦しめ、幕末への道筋を敷くことになりました。
徳川幕府、威信失墜の始まり「天保の改革」――水野忠邦の失策と薩摩・長州の成功を比較改革の柱は4つです。
①倹約令
②株仲間の解散
③商人の自由取引容認
④人返しの法
これらはすべて、幕府の財政を立て直し、社会の秩序を取り戻すことを目指すものでした。しかし、実際には庶民に大きな負担をかける結果になったのは皆さんもご存じの通りです。
まず倹約令は、衣食住から娯楽まで細かく規制しました。贅沢を禁じ、派手な着物や豪華な食事、遊びを抑え込んだのです。
風俗取締りも厳しく、人気作家の為永春水はこうした取り締まりで手鎖50日の処罰を受け、苦しみの末に亡くなったとされています。
彼の取り調べを担ったのは遠山景元。庶民のヒーローである遠山の金さんとして知られる人物です。