太宰治の不倫模様
昭和25年6月13日、太宰治と山崎富栄が玉川上水で亡くなったという知らせは日本に大きな衝撃を与えました。
当時の太宰は人気作家でしたが、愛人に迫られて断り切れず、優柔不断が原因で心中したという説が広く語られました。
しかし、残された記録をたどると、この説明だけでは不十分であることが見えてきます。
戦後の太宰は『斜陽』の成功で一気に売れっ子となり、仕事量は急増しました。
ところが人気作家としてのストレスに耐えられず、酒・タバコ・薬を濫用し、持病の肺結核は悪化。喀血を繰り返すほどの状態に追い込まれていました。
彼が生き続けること自体が難しいと感じていた可能性は高く、心中の主導権が太宰側にあったと考えるのは自然なことでしょう。
富栄との関係も、単純な恋愛ではありません。
二人が出会ったのは1947年3月。太宰は「死ぬ気で恋愛してみないか」と告げ、関係が始まったといいます。
しかし太宰には正妻・美知子がいて、さらに『斜陽』の素材を得るために接近した太田静子という愛人もいました。