「恋愛心中」では終われない太宰治の最期…自死の決定打になった“最後の一押し”とは (2/4ページ)

Japaaan

富栄の願いと太宰の拒絶

さて、富栄は静子の妊娠を知ると強いライバル心を抱き、「自分も太宰の子を産みたい」と願うようになります。

しかしこの年の6月24日の富栄の日記では、「一緒に死のう」と持ちかける太宰に、彼女が「もう少し頑張って」と返すやり取りが記録されています。

一方の太宰は正妻以外との子どもを望まず、「これ以上子ができたら首括りだ」と語っていました。

富栄が泣きながら抗議しても、太宰は軽くあしらったといいます。

山崎富栄(Wikipediaより)

それでも富栄は諦めておらず、心中の一か月前まで、日記に「どうしても子供を産みたい。欲しい。きっと産んでみせる。貴方と私の子供を」と、まるで太宰の小説のような文体で繰り返し書いていました。それだけ精神的な一体感が強かったのでしょう。

そして1948年6月、二人は赤い紐で身体を結んで玉川上水へ向かいました。富栄の願いは母になることであり、死を望む理由は見当たりません。

こうした状況を見ていくと、厭世的な気分になって死を望んでいたのは太宰の方だったと考えるのは自然なことでしょう。

太宰を追い詰めた“最後の一押し”

さて、では心中の主導権が太宰にあったとして、その最後の一押しになった原因は何だったのでしょうか。

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