五十路の春
俳人として知られる小林一茶は、文化十三年の正月に「こんな身も拾ふ神ありて花の春」と詠んでいます。
五十路を迎えてようやく故郷に戻り、そして結婚し、父の遺産も相続した時期でした。長い貧困から解放されて世間並みの暮らしが手に入ったという実感が、この一句から読み取れます。
この頃の一茶は、人生で初めてといってよいほどの安定感がありました。
なにより妻の菊は妊娠中で、四月には第一子が生まれる予定でした。跡取りを切望していた一茶にとって、これほど希望に満ちた正月はなかったはずです。
しかし、身体の状態はすでに老いの色が濃く、歯はすべて抜けて何をしゃべっているのか不明瞭。病弱で、原因不明の皮膚病にも悩まされていました(これは梅毒だったとも言われています)。
それでも日記には、この時期から「交合」という言葉が頻繁に登場します。妊娠安定期の妻に対して昼夜を問わずセックスを求め続けたというのです。
ちょっと常軌を逸していますね。生命の危機に対する不安を解消しようとしていたのでしょうか。
そして四月十四日にはめでたく第一子・千太郎が誕生しますが、わずか半月後に死亡。