常軌を逸した“子作りへの執着”…江戸時代の俳人・小林一茶の壮絶な老年期と最期 (2/4ページ)
一茶自身の体調も急激に悪化し、秋には全身に強いかゆみをともなう皮膚病が広がりました。
それでも翌年になると、一茶は再び跡取りを求めて性交を重ね、日記には「夜五交合」「三交」などの記録が並びます。やっぱり常軌を逸していますね。
その執念たるや、自ら山に入り、強精作用のある薬草を採ってくるほどでした。
再婚・離縁・またセックス一茶の子どもはその後もどんどん生まれたのですが、なぜかどの子もすぐに亡くなりました。文政二年には第二子・さとが、文政四年には第三子・石太郎が、文政六年には第四子・金三郎が死去しています。
とくに第三子は、菊が背中におぶっている間に絶命しており、一茶は「お前が窒息死させた」と妻を責めたといいます。
九年間で四度の妊娠出産を経験した菊は、ついに亡くなりました。
すると六十二歳の一茶はすぐに武家出身の雪と再婚しますが、半年で離縁しています。この頃の一茶は脳梗塞を繰り返し、半身不随で言語障害も進んでいました。
さらに村を襲った大火で、新築したばかりの家も焼失。一茶の生活は急激に困窮し、老年期は坂を転げ落ちるように厳しさを増していきます。