常軌を逸した“子作りへの執着”…江戸時代の俳人・小林一茶の壮絶な老年期と最期 (3/4ページ)

Japaaan

それでも一茶は妻と子を求め続け、文政九年にはやおという幼い子連れの女性が世話係としてあてがわれました。

一茶は彼女と朽ちかけた土蔵で暮らします。世話係と言っても単あるヘルパーではなく、一茶は彼女ともまた性交を続けました

彼らが過ごしたのは、夏にはホタルが見えるほど隙間だらけの建物だったといわれており、信州の冬をどう凌いだのかは想像がつきません。

第三章 孤立の果てに迎えた突然の最期

一茶の老年期をさらに厳しくしたのは、家族との断絶でした。

彼はもともと十五歳で江戸に奉公に出てから三十歳過ぎまで実家に寄りつかず、父の死後には遺産の半分と二百二十坪の土地を奉行所に訴えて強引に分割させています。

その際、一茶は義母を冷淡な人物として描き、自分だけが父を看病したかのような記録を提出しました。

しかし実際には家族に頼りきりで、遺産だけを奪った形になっていたのです。こうした経緯があって異母弟たちとの関係は最悪で、老後に支援を受けられる状況ではなかったのです。

小林一茶旧居

文政九年に一茶はやおと結婚しますが、その翌年の11月19日に突然死します。俳人でありながら辞世の句も残しておらず、急死だったことが分かりますね。享年65歳。

しかしどうやら、死の直前までセックスは続けていたようです。一茶の死から半年後、やおは女児を出産しました。

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