「巨大堤防」の真相
豊臣秀吉による高松城の水攻めは、彼が十二日で長さ二・八キロの堤防を築き、城を湖に沈めたという壮大なイメージが広く知られています。
今でも戦国時代最大クラスの奇策であり、日本三大水攻めのひとつとして紹介されますね。
東京都立中央図書館所蔵『赤松之城水責之図』(Wikipediaより)
しかし、この巨大堤防の話には疑問が多いのです。特に史料として有名な『川角太閤記』は秀吉を英雄化する傾向が強く、もともと規模を誇張した可能性が指摘されています。
そもそもの話として、当時の技術で三キロの堤防を十二日で築くのは現実的ではありません。だからこそ伝説的なストーリーになったとも言えるのですが、ではあくまでも「現実的」に考えるならどうでしょうか。
実際の高松城はどんな場所だったのかというと、城は三方を山に囲まれ、南側には自然堤防が連なる湿地帯がありました。
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