豊臣秀吉の高松城水攻め“巨大堤防”伝説は本当か?3キロ堤防の裏にあった合理的すぎる戦略【豊臣兄弟!】 (2/4ページ)
つまり、最初から城そのものが水攻めに向いている場所だったと言えます。
近年の研究では、この城を攻めるのに必要な堤防は三キロではなく三百メートルほどで十分だったとされています。
三百メートルと言えば山手線十一両分ほどの長さで、これなら当時の技術でも十分に可能な規模でした。巨大堤防のイメージは後世の創作で、実際には地形を巧みに利用した合理的な作戦だった可能性が高いのです。
狙いは水没ではないところで、それでは秀吉はなぜ水攻めを選んだのでしょうか。
籠城する側は清水宗治率いる三千人、対する秀吉軍は宇喜多氏の援軍を含め二万五千人でした。数字を見ただけでも分かる通り兵力差は圧倒的で、正攻法でも勝てたはずです。
それでも秀吉は迂遠な水攻めを選びました。
その理由は、彼が毛利氏の主力を誘い出すためだったと考えられます。高松城を攻囲すれば、毛利軍は救援に動かざるを得ません。そこへ信長の援軍が合流すれば、一気に主力決戦に持ち込めるという考えだったのでしょう。
この戦略は『信長公記』の記述とも矛盾しません。秀吉は鳥取城を落とした後で姫路城に戻り、次の標的として高松城を選びました。
毛利氏の防衛線を突破するには、宗治の高松城を無視することはできなかったのです。