縄文土器と聞くと、多くの人が思い浮かべるのが、燃え上がる炎のような装飾を持つ「火焔型土器」ではないでしょうか。
教科書や博物館でもおなじみのその姿は、まさに縄文文化のシンボル。一度見たら忘れられない圧倒的な存在感があります。
ところで、あの炎のような形は、本当に「炎」なのでしょうか。そして、なぜ縄文人は、あれほど複雑な土器を作ったのでしょうか。
その謎を、「国宝 火焔型土器」から探ってみましょう。
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1936(昭和11)年、長岡市の馬高遺跡で、ひとつの不思議な土器が発見されました。その燃え上がる炎を思わせる口縁部の造形から、考古学者によって「火焔土器」と名付けられました。