あの装飾は「炎」ではない?縄文時代の国宝・火焔型土器、5000年前の人々が刻んだ謎とデザインの秘密

| Japaaan
あの装飾は「炎」ではない?縄文時代の国宝・火焔型土器、5000年前の人々が刻んだ謎とデザインの秘密

縄文土器と聞くと、多くの人が思い浮かべるのが、燃え上がる炎のような装飾を持つ「火焔型土器」ではないでしょうか。

教科書や博物館でもおなじみのその姿は、まさに縄文文化のシンボル。一度見たら忘れられない圧倒的な存在感があります。

ところで、あの炎のような形は、本当に「炎」なのでしょうか。そして、なぜ縄文人は、あれほど複雑な土器を作ったのでしょうか。

その謎を、「国宝 火焔型土器」から探ってみましょう。

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火焔型土器はどこで生まれた?

火焔型土器が作られたのは、約5000年前の縄文時代中期。現在の新潟県 信濃川流域を中心とした限られた地域だけで見られる、極めて地域色の強い土器です。

1936(昭和11)年、長岡市の馬高遺跡で、ひとつの不思議な土器が発見されました。その燃え上がる炎を思わせる口縁部の造形から、考古学者によって「火焔土器」と名付けられました。

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