天正11年(1583年)4月20日、大岩山砦が佐久間盛政(遠藤雄弥)の襲撃を受け、守備していた中川清秀(すがおゆうじ)が討死してしまいました。
その死は大垣城に滞陣していた羽柴秀吉(池松壮亮)の決断を促し、空前絶後の美濃大返しを敢行させることになります。
言わば賤ヶ岳の戦いにおける大きな転機をもたらした中川清秀とは、どんな人物だったのでしょうか。
今回はその生涯をたどり、大河ドラマ「豊臣兄弟!」を楽しむ参考にしてもらえたらと思います。
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【豊臣兄弟!】前田利家がまさかの撤退!「賤ヶ岳の戦い」裏で妻・まつはどう動いたのか? 摂津茨木城の城主に中川清秀は天文11年(1542年)、中川重清(しげきよ)と中川清村女(きよむら娘)の長男として誕生しました。
幼名は虎之助(とらのすけ)、弟には中川重継(しげつぐ)・中川重良(しげよし)・中川新兵衛、妹には仙(せん。古田重然室)がいます。