「週刊少年ジャンプ」にて2021年より連載され、現在TVアニメ第2期も放送中の『逃げ上手の若君』には、数多くの魅力的な人物が登場します。
建武政権の転覆を狙う公卿・西園寺公宗(さいおんじ・きんむね)もその1人です。
公宗は幕府と折衝する役職・関東申次を務める家に誕生。そのなかで武士や悪党とも関わりを持つなど多彩な人間関係を築いていきました。
公宗は皇位継承をはじめ、朝廷内部の重要事項に関与。絶大な権勢を誇り、同時に敵も作っていきます。やがて後醍醐天皇が倒幕を掲げて挙兵。そこには公宗の家人である平野将監の姿もありました。
劣勢であった後醍醐天皇方ですが、新田義貞や足利尊氏が翻意。形勢は傾き、鎌倉が陥落し、六波羅探題も殲滅されてしまいました。
公宗は誰と関わり、どのようなつながりを生かし、どう生きたのでしょうか。西園寺公宗の前半生について見ていきましょう。
西園寺公宗の生涯は、絶大な権勢とその失墜によって彩られている。
朝廷と幕府の橋渡し!関東申次としての働きとその栄光延慶3(1310)年、西園寺公宗は公卿・西園寺実衝の長男として生を受けました。
西園寺家は清華家に列する家で、貴族のなかで最上位となる五摂家に次ぐ家格です。
官職は大臣や大将を兼ねて、極官は太政大臣(太政官の最高職)となることのできる家でした。