幕末の京都を闊歩した新撰組は男所帯であり、命を惜しまぬよう女子供は遠ざけられました。
妻帯者は屯所から十里(約40キロ)以上離れた場所に住まわせることを義務づけたそうです。
また給与が乏しく経済状態がよくないため、そもそも妻子を養う余裕もなかったことでしょう。
それでも尽忠報国の志を胸に、新撰組へ飛び込む者は少なからずいたそうです。
今回はそんな一人・安富才助(やすとみ さいすけ)を紹介。果たして彼はどんな人物で、どんな生涯をたどったのでしょうか。
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安富家は備中国足守藩(岡山県岡山市)に仕えて12俵2人扶持の俸禄を食み、父は川場方・年貢収納役・勘定方を歴任する能吏だったそうです。