妻子を捨て『新撰組』へ…土方歳三の最期を見届けるも武士身分を剥奪された隊士・安富才助の生涯 (2/4ページ)

Japaaan

やがて父が弘化3年(1846年)に江戸詰を命じられ、一家揃って江戸に移り住みました。

この時に兄の源之助(げんのすけ)は父の同僚であった宮崎家へ養子入りします。そのため、嘉永5年(1852年)に父が亡くなると、才助が安富の家督を継ぎました。

父が務めた勘定方を引き継いで奉公するかたわら、激務の間に大坪流馬術の修行に勤しみ、ついに免許皆伝となったそうです。

まさに文武両道の才助は、やがて結婚して一人娘を授かりました。このまま幸せに一生を終えてもよかったのでしょうが、風雲急を告げる幕末の動乱を前に、才助は居ても立ってもいられなかったようです。

妻子とキャリアを捨てて新撰組へ

安富才助が新撰組に入隊したのは元治元年(1864年)10月ごろ。愛しい妻子を振り切っての決断だったことでしょう。

名前に恥じぬ多才ぶりから土方歳三(副長)の信頼は厚く、隊内では伍長・諸士調兼監察・勘定方そして馬術師範を歴任・兼務します。

組織運営の実務を担える人材は貴重であり、また妻子を振り切るほど高い志を持っていたことが、土方らの信頼を得たのでしょう。

勘定方の職務上、あまり最前線で闘うことはなかったようですが、縁の下の力持ちとして新撰組に貢献しました。

しかし慶応4年(1868年)に戊辰戦争が始まると、新政府軍に敗れた新撰組は京都の地から逃走します。

その後は土方らと別行動をとりますが、会津の地で再会を果たしました(この間についてはよくわかっていません)。

局長の近藤勇は既に処刑され、生き残った中から斎藤一(三番隊長)が隊長として指揮をとります。

才助は副長として斎藤を補佐し、その後も各地を転戦しながら北上していきました。

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