唐への警戒
古代日本において天武天皇が死去し、持統天皇(じとうてんのう)が即位したのは690年でした。このころの倭国は、唐からの侵攻を強く警戒する時代に入っていきます。
唐は当時の東アジアで圧倒的な力を持つ大国でした。倭国にとっては、どうすれば独立した国として存在できるのかが重大な問題だったでしょう。
こうした状況は、推古天皇(すいこてんのう)と蘇我馬子(そがのうまこ)の時代にも見られます。隋からの侵攻を警戒しながら、倭国を整った国家として見せる必要があったわけです。
持統天皇と藤原不比等(ふじわらのふひと)の時代にも、同じような課題が残っていました。外国から見ても国家として認められる仕組みを整えることが求められたのです。
ただし、国家づくりには国内向けの目的もありました。天武・持統につながる皇族の系譜を正統なものとして示し、その立場を長く保つ必要もあったと考えられます。