「聖徳太子」は誰が作った?手柄の完全な横取り…奪われた「蘇我馬子」の功績と歴史の闇 (2/6ページ)

Japaaan

藤原不比等にとっては、もう一つの意味もありました。新興勢力だった藤原氏の立場を高めていく必要があったのです。

そこで、かつて大きな政治権力を持っていた蘇我氏のやり方は、大きなお手本になったことでしょう。

こうした政治的な事情の中で作られたのが『古事記』や『日本書紀』です。

その制作に、藤原不比等が知恵を出したのではないかという説もあります。

馬子の功績

ここで問題になるのが蘇我馬子でした。冠位十二階や憲法十七条の制定など、馬子に結びつく政治上の業績はかなり大きなものだったのです。

これらをすべて馬子の功績として記録すれば、後から勢力を伸ばした藤原氏の存在が目立ちにくくなります。そこで、蘇我馬子の業績を別の人物へ移したのではないかという説があります。

その「別の人物」の候補として注目されたのが厩戸王(うまやとおう)(=聖徳太子)だったというわけです。

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