「聖徳太子」は誰が作った?手柄の完全な横取り…奪われた「蘇我馬子」の功績と歴史の闇 (5/6ページ)
こうなると、後の時代に存在した制度を、無理やり厩戸王の時代へ当てはめた可能性も出てきます。
そんなこともあって、現在の日本史研究では、現在知られる聖徳太子の人物像の多くは後世に形成されたものであり、その太子像をそのまま史実とすることには慎重な見方が強いです。
では、遣隋使や十七条憲法の制定、冠位十二階など、聖徳太子が成し遂げたものとして現代に伝わっている政治的成果を、実際に成し遂げた人物は誰だったのでしょうか。
そこで改めて注目されるのが蘇我馬子です。
蘇我馬子に辱めを与えるため!?なぜ明日香村の「石舞台古墳」には土が盛られていないのか?
当時の倭国は、中国へ朝貢して被冊封国となることを避けながら、一定の独立性を持つ国として認められる道を進んだと考えられています。
その国家としての基盤づくりに大きく関わった人物として、現代では蘇我馬子が評価されているのです。
聖徳太子が実在したかどうかだけを考えていては、古代史の面白さは見えてきません。
