僕らの街に原子爆弾が …「Nuke Map」がジャカルタ市民に与えた衝撃 (1/3ページ)
今年は終戦70周年という節目の年である。それは同時に、広島と長崎に原子爆弾が投下されてから70年を経たということだ。
19世紀中葉にアメリカで起こった南北戦争は、人類に“総力戦”という新しい戦争概念を植え付けた。それまでの戦争は「力のある若い男だけが担うもの」というものだったが、南北戦争は巨大化した戦時経済の捻出のために一般市民をも駆り出した。
その結果、アトランタの南軍側市民は北軍による無差別破壊の憂き目に遭った。「敵国の士気、生産力を削ぐこと」はすなわち「敵側の都市を完全破壊すること」なのだ。
その極致が、第二次世界大戦である。この頃になるとかつての南北戦争やパリ砲撃が実行された普仏戦争、毒ガス弾を各地にばら撒いた第一次世界大戦をも超える都市破壊が、司令官の命令一つで行われるようになった。戦争指導者にとって、前線の敵兵よりも銃後の敵国民が“殲滅すべき目標”と化したのである。
広島と長崎は、まさにそのような潮流に巻き込まれたのだ。
■ 「他国の戦争」は他人事
ここで話は変わる。
筆者は年の半分をインドネシアで過ごしている。現地では様々な人と交流を持つが、インドネシア人について総じて言えるのは“世界史と国際情勢に疎い”ということだ。
この国の市民は、たとえ大学生でも「リーマンショックって何?」と言ってしまう人々が多数派である。これは内需中心経済のインドネシアが、リーマンショックの際にもプラス成長を達成できたことに由来するが、それにしても日本人とインドネシア人とでは時事情報に関しての知識格差が大きいと感じてしまう。
そして、インドネシア人にとっての“戦争”とは専ら自国の独立戦争を指し、それ以外は学者かマニアかオタクでなければ知る由もないというのが普通だ。たとえばアドルフ・ヒトラーはインドネシアでも有名だし、ナチス時代のドイツ軍のコスプレコミュニティーもある。その趣味が高じて、自前で1942年製キューベルワーゲンを買った人もいる。
ところがヒトラーが実行したホロコーストの惨劇、そしてその只中で日記を書いていたアンネ・フランクという少女がいたことは、この国では殆ど知られていない。