歴史はつながる…ナポレオンから広島・長崎原爆投下までの「戦争と平和」のストーリー (3/3ページ)
現にナポレオンが1800年のマレンゴで勝ち取った“平和”は、正味2年も持たなかった。すでに国民総動員の劇的な効果を知った各国は、ワーテルローで負けたとしてもさらなる徴兵で兵力を補おうとする。平和ではなく、新しい戦いあるのみだ。どちらかへの“殲滅”が達成されるまで、戦争は終わらない。
ナポレオンは「国民軍」という、今までになかった戦争の歯車を作り出した。だがその歯車は、ナポレオン本人ですらも止められないものに化けてしまったのだ。
■ 「誰しもが軍属」という概念
ナポレオン戦争終結後、軍隊は急激な機械化を進めた。今まで馬が行っていた物資輸送を、鉄道が行うようになった。それに続き、馬での運搬が容易ではない大きさの重火器も登場する。
だが大規模輸送・大量生産を可能にするには、工場や後方の補給廠が常に稼働していなければならない。成年の男は兵隊に取られている。となると、工場に駆り出されるのは女と未成年だ。
そしてそれは、敵側も同じである。どちらも経済力の全てを戦争に充てている以上、「私は戦争とは無関係だ」と主張する人間の存在を許してはいけない。役目は違えど、誰しもが「軍属」である。それが総力戦だ。1861年に勃発したアメリカ南北戦争で、そうした総力戦の特徴が見られるようになった。
ならば両陣営が睨み合う戦線よりも、敵側の銃後を真っ先に叩いてしまえば戦争は片付くはずだ。
実際、アメリカで原子爆弾投下の正当性を強調する理論として用いられるのが、
「原爆のおかげで、アメリカ軍は日本本土へ侵攻する必要がなくなった。両軍数十万の兵士の命が救われた」
というものだ。その理論は、総力戦を前提とする戦争戦略においては決して誤りではない。戦争継続力とは、要するに経済力である。それを生み出しているのは一般市民だ。だったら、敵側の市民を女子供関係なく殺してしまえばよろしい。
そのような概念の戦争が、実に20世紀半ばまで繰り広げられていたのである。
そしてもう一つ、忘れてはいけないことがある。我々日本人にとって今年は第二次世界大戦終結70周年だが、ヨーロッパの市民にとってはナポレオン戦争終結200周年でもあるのだ。
歴史はこうしてつながっているのである。
【参考】
※ 広島県立美術館 「戦争と平和展」
【画像】
※ とち太郎 / PIXTA(ピクスタ)