死者と会話をする。海外版イタコの住む町、米ニューヨーク・リリーデール (2/4ページ)
ロチェスターでのこうしたデモンストレーションのおかげで、その評判はニューヨークにも広がり、ふたりは有名になった。特にニューヨークヘラルドトリビューン紙のホレス・グリーリーは、フォックス姉妹を通して、死んだ5歳の息子からのメッセージを妻のモリーが受け取ったことに感激したと公言していた。

姉妹は自分たちが有名になっただけでなく、死者と交流するというビクトリア時代の娯楽を生み出した。アメリカ中でエセ霊媒師が次々と登場し、霊との交信もラップ音から自動書記のような技術へと移行していった。
1855年までに、心霊主義は正式な教義やひとつの教会として発展することはなかったが、100万の信者がいるというさまざまなキリスト教信仰の層を積み上げていった。誰にでも門戸が開かれ、死刑廃止論や女性の人権などのような急進的な主義とも結びついた。フォックス姉妹のように若い女性が霊媒師に多かったのは、若い女性と魔術、あるいは霊的なものと女性性や家というものを結びつける古い考え方のせいだろう。歴史家のアン・ブローデは、全国のアメリカ人が、思春期の娘を通して霊からのメッセージを受け取るともっともらしくなることに注目している。

ビクトリア朝の社会は、女性に力のある役割はほとんど与えなかったが、降霊会は女性たちにとって、ある意味受け入れられない意見を声にする方法のひとつとして流行ったのだ。
正式名リリーデール集会として知られるリリーデールは、1879年にカサデガ湖自由連合として設立された。現在のリリーデールという名前は、カサデガ湖畔にユリが咲いていたことから1906年につけられた。