70年前のハイブリッドカー!? 「変人博士」フェルディナント・ポルシェの足跡 (2/4ページ)
ヒトラーが政権を運営していた時代、ドイツの実体経済が飛躍的に向上したのは疑いようのない事実である。数々の大型公共事業を打ち出して雇用を生み出し、農村部の青少年には定期的な旅行に参加させる。
歩道の片隅で絶望していた失業者、先祖代々自分の村を離れたことがなかった農民はこぞってナチスを支持した。
フェルディナント・ポルシェは、その頃からヒトラーの“お気に入り”であった。先述の通り、フォルクスワーゲン・ビートルという大衆車の設計図を引いて、大成功を収めたからだ。ナチスの選挙公約を叶えるための重要なポジションに、フェルディナントはいた。だから第二次世界大戦が始まって以降も、ナチスはフェルディナントを兵器開発者として大きな権限を持たせていた。
フェルディナント自身は、政治に無関心の男だった。自分の仕事ができれば、それに越したことはない。ヒトラーのことも「Mein Führer(総統閣下)」と呼ばずに、「Herr Hitler(ヒトラー氏)」と呼んでいたらしい。
すなわちフェルディナントにとって、ヒトラーは自分に仕事をくれる“いい上司”に過ぎなかったのだ。だからこそ、戦争協力にはむしろ積極的だった。
■ 電動戦車現る
そんなフェルディナント・ポルシェが戦時中に手がけた一番有名な“作品”は、やはりVI号戦車だろう。
第二次大戦は、戦車の進化の歴史でもある。
1939年のポーランド侵攻の際のドイツ軍装甲師団は、小型のI号戦車とII号戦車を主力にしていた。だがこの2種は火力、装甲共に貧弱で、実戦では様々な問題が発生した。翌年6月のフランス侵攻戦ではIII号戦車、IV号戦車の数がようやく出揃うも、こちらもまだ火力の面で充分ではなかった。
ヒトラーは兵器局に、重戦車開発を厳命する。対戦車攻撃に優れた88ミリ砲を搭載し、最大100ミリの装甲板を持つ当時としては規格外の重戦車を。
フェルディナントはそれに対し、最先端の動力技術を惜しみなく搭載するという答えを出した。何と彼の設計した戦車は、“電動”だったのだ。
ラジコンカーを想像してほしい。電動モーターを使った車は、非常に構造が単純だ。