北里大の大村教授で話題の! 最高の名誉であるノーベル賞を5回も受賞した「一家」がいるって本当? (2/2ページ)
「物理学者は研究成果を全面的に発表するものであり、このラジウムは病気の人たちの治療に役立つもの。そこから利益を引き出すのは科学の精神に反する」そう考えたのです。
その後、キュリー夫妻はこの研究が認められ、ノーベル物理学賞を受賞。マリーは女性では初の受賞者となりました。
1906年、ピエールは不慮の事故により急死してしまいます。悲しみの中で、それでも2人の娘を育てなければならなかったマリーは、夫の後を継ぎ、女性で初めてソルボンヌで教壇に立つことに。
さらに夫婦で進めていた研究を1人でおこない、2度目のノーベル賞受賞となるのでした。
■私財をなげうち負傷者を助ける
1914年、第一次世界大戦がはじまると、研究を中断し運び込まれてくる負傷兵の手当てに全力を尽くしました。
軍にはX線撮影設備が充分ではなかったため、マリーは自らの私財をなげうち、自動車に設備と発電機を搭載して、各地に派遣しただけでなく、自ら運転して従軍。さらに、行った先々の病院で200もの治療室をつくり、結果的に多くの負傷者を救いました。
そのかわり、終戦後はラジウムが1グラムも買えないほど困窮してしまいました。それを知ったアメリカの出版人・メロニー夫人が中心となり、全米キャンペーンをおこないました。その結果、募金で集まった金額は日本円にして約1億円。マリーの勇気ある行動が、海を越えて人々の心を動かしたのです。
同時期に活躍した天才アインシュタインはマリーに対して「あらゆる著名人のなかで、名誉によって損なわれることのなかった、ただ1人の人である」と、評しています。
マリー・キュリーとは、私利私欲を捨て、貧しい中に幸せを見つけ、研究に打ち込んだ人物だったのでしょう。長女イレーヌも、夫と共にノーベル賞を受賞し、母の後を継いでソルボンヌの教授になっています。キュリー一家は、2代4人で合計5回の、おそるべきノーベル賞一家なのでした。
■まとめ
・キュリー夫人は、女性初のノーベル賞受賞者
・化学賞・物理賞の2つを受賞したのは、いまだにキュリー夫人だけ
・夫、娘夫婦と合わせ計5回の受賞を果たしたノーベル賞一家