酒を飲むイスラム教徒 「戒律」と「教条」の間で生きる (2/3ページ)

FUTURUS

ジャービルはその生涯の中で様々な化合物を発見し、特定物質の抽出にも成功している。その業績の全てを書くことは、文字数が限られているこの記事内ではできない。

だが主たるものを一つ紹介すれば、ジャービルは蒸留の技術を確立させている。

アルコール度数の高い蒸留酒の大量生産は、ここから始まった。今でも中東地域では、蒸留酒『アラック』の製造法が先祖代々継承されている。これは古来から、酒に対する大きな需要があったという証拠である。

一方、飲酒が許されているはずのキリスト教世界が、本格的に蒸留酒生産に取り組んだのは、早く見積もっても15世紀からである。

その頃にはもうウィスキーの量産は始まっていたそうだが、いずれにせよキリスト教世界はイスラム教世界の背中を常に追っていたのは事実である。

■ オスマン朝は飲酒帝国

トルコという国は“寛容なイスラム教の国”として知られている。確かにトルコ料理にはよく『ラク』という酒がついてくるし、全身を黒い布で覆っている女性も少ない。

そもそもトルコは、オスマン帝国時代からそういう姿勢があった。ビザンツ帝国を滅ぼし、オスマン朝を栄光の只中に導いた第7代皇帝メフメト2世は、大酒飲みとしても知られている。

「彼はアルコール中毒患者だった」というのが、現代に伝わるメフメト2世の一般的なイメージだ。

そして酒を嗜んだ皇帝は彼一人ではないどころか、大半の歴代皇帝は酒を飲んでいた。タバコやコーヒーと共にアルコールを取り締まった、第17代皇帝ムラト4世などは、むしろ例外に属する人物である。

これらを鑑みると、“トルコは寛容なイスラム教の国”というよりは“イスラム教が寛容な宗教”という印象さえ受ける。

そして日本人は戒律主義と教条主義の違いを、あまり意識したことがないのではと思えてしまう。厳格な戒律があるから、人々はみんな教条的なのだという誤解が、我々日本人の中に存在する。

だがムラト4世がなぜ酒を取り締まったかというと、要は酒飲みのイスラム教徒が帝国の領土内にゴマンと存在したからだ。

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