ノーベル賞候補にも! 「抗生物質」は日本の発明だって本当? (2/2ページ)

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コッホは「細菌学の祖」とも言われる存在ですから、この分野では世界一の研究機関。ドイツの医学薬学は世界イチィィ!と叫んだかは不明ですが、秦の研究が世界的に認められた証明と言えるでしょう。

■606回目の大逆転

その後の秦はエールリッヒ博士とともに梅毒(ばいどく)の治療薬の開発に取り組みます。梅毒は梅毒トレポネーマという菌が原因で、皮膚や粘膜から他人にうつる感染症ですが、感染しても3週間ほどで症状が和らぎ「治った」と勘違いしてしまうやっかいな病気。当時は治療方法が確立していなかったため、多くのひとが犠牲になっていました。そのため、エールリッヒ博士は治療薬の研究にいそしみ、秦を招いて共同研究をおこなったのです。

1909年ついに梅毒治療薬・606号が完成、翌年には製薬会社が「サルバルサン」の名で量産し、世界中で治療に使われるようになりました。「606号」は試作品の番号を意味し、つまり606回目にやっと成功したのですから、大変長い道のりだったことがうかがい知れます。それもそのはずで、おもな成分である「ヒ素」は人体にも有害な物質だったからです。

研究成果が認められ、エールリッヒ博士は1908年にノーベル生理・医学賞を受賞、秦も後年の候補に挙がるものの残念ながら受賞には至りませんでしたが、日本結核予防協会や恩師である北里研究所の設立に携わり、研究者としての人生を過ごします。606号も現在はペニシリンが主流となりましたが、秦が発見した抗生物質があってこそ、安心して暮らせる時代になったのです。

■まとめ

 ・抗生物質を最初に発見したのは、秦佐八郎とエールリッヒ博士

 ・梅毒の治療薬を作るのが目的

 ・古代から毒として使われていた「ヒ素」を利用

 ・ノーベル賞候補になったが、残念ながら受賞しなかった

(関口 寿/ガリレオワークス)

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