吉田豪インタビュー企画:紀里谷和明「死んでもいいと思ってやってると何かが発生する」(3) (4/5ページ)
命を懸けないと刺激を感じられない
──紀里谷さんはよく「命を懸ける」的な話をされるじゃないですか。
紀里谷 そこしか何も感じられなくなってきちゃってると思うんですよね。とにかく、ありとあらゆることに不感症なんですよ。たとえば何かを観るとかどっかに行くとか何かを食べるとか、ある種セックスに対してもそういうところがあるのかもしれない。そういうものに対して何も感じなくなってきちゃってる。
──刺激が足りない。
紀里谷 刺激というものが刺激の機能を果たしてない。なんでかな、と。たとえば「どっか行きたいですか?」「何が欲しいですか?」「何食べたいですか?」「やりたいことはなんですか?」って言われてもなんにも答えられない。一時悩んで、すごい追及した結果、頭のなかにあるものを超えられないんだっていう答えが出てきちゃって。やっぱり何かすごいと言われてる景色を見るじゃないですか。それを僕は1回映像みたいなフィルターに落とし込んで、撮ったらこれもっときれいに撮れるよ、みたいなところがあるわけですよ。ハイビジョンになっちゃうと女の人がきれいに見えないってわかります?
──もうちょっと色をフォトショップで加工したほうがいいのになとか考えちゃうわけですね。
紀里谷 そうそうそう、なんか裸眼で見ると粗悪に見えちゃうというか、何を見ても、「ふーん」って感じなんですよね。頭のなかで見えてるビジョンのほうが勝っちゃうんですよ。そればかりか、ここはドローンで上から撮ったほうがいいんじゃないかとか、視点が勝つんですよ。たとえば……ま、いっか。信用しますから言いますけど、AVとかもいい例で、いろんな角度から撮れるわけじゃないですか。でも実際セックスをしてるとワンカメで、しかも目のカメラになっちゃってるわけですよね。それに近い感じがあって、現実で見るものが非常に凡庸に見えてしまう。
──こんなのただの素人のハメ撮りじゃん!と。
紀里谷 視点を変えさえすれば、ものすごくきれいに撮れるし、すごい絵にするよっていう自信があるんですよ。で、一時期ずっと死ぬ前にやりたいことリストっていうのをホントに真面目に作ってて。くだらないことから全部。それも、もう全部やっちゃったし。
──それで目標がなくなったというか。
紀里谷 それをクリアすると何かあるのかなと思ったら、結局なんの扉も開かなかったっていうね。そうなったときに、いま現在この瞬間とどう向き合うのかっていうことでしかなくなってきちゃうんですよ。たとえば今日はこうやってお話させていただいて、いまここに俺がいて、全部ここで話すんだっていう思いでキッチリ話をして。その真剣さでしか何も感じられないなっていうことに行き着いたわけですよ。外的刺激っていうか、外から得るものではどうしようもない。
──直接的なコミュニケーションじゃないと。
紀里谷 そう、コミュニケーションであり、何かにその瞬間全部を懸けていくっていう、その向き合う感じしか、もう何も感じることはないんだっていう結論なんですよね、いまは。たとえば映画を作っているという作業のなかでも、中途半端にやっちゃうと、やってられないんですよね、つらくて(笑)。でも、もう死んでもいいんだと思ってやってると、そこに何かが発生するんですよ。
──ギリギリな状況に自分を追い込むことで。
紀里谷 たとえばバイク乗っててすごいスピード出して、その瞬間それしかないってことでいっちゃってるときに何かがあるんですよね。キックボクシングやっててもそうだし、その瞬間に何かがあるんですよ。セックスもそうなのかもしれない。それだけなんですよね。だから命懸けでっていうのは誇張表現でもないし、そう思ってやってるんですよね。
──YOSHIKIさんとGACKTさんの共通点はそこでもあるんでしょうね。常に命懸けモードっていう。
紀里谷 ああ。よっちゃうんのほうがそうですね、GACKTはよくわかんないけど、よっちゃんはそういうところある。ビラ配りしてるときも、何枚配れるかっていうのも重要なんだけど、そこなんです。あとはもうなんにもいらない。いまはとにかく世界じゅうの人たちと何かを作って、作ったものを世界じゅうにお届けして、願わくばそのうち何人かに喜んでいただければ、それでもうほかに何もいらないっていうことだけ。そしたら、あらゆるノイズであったり何もかもが消えてなくなる感覚があって、非常にいいですよね。
──ものすごいピュアな人じゃないですか。
紀里谷 まあ、劇メーションも好きですし(笑)。ピュアかどうかはわからないですけど、そこで初めていろんな苦しみから逃れられる感覚があるわけですよね。若い頃っていろんなものが欲しいじゃないですか。自分が足りないところを武装しなきゃいけないし。
──高いスーツとか着て、誰よりも武装してきた人ですからね。
紀里谷 そう。でも、そこには苦しみしかないと思ったんですよ。だから今回だってみんなでこんなに一生懸命プロモーションやって、映画が当たるに越したことはないけど、でもここまでやってるんだから、そこから先は俺たちの範疇じゃないじゃんっていう領域までいくと、ハラハラもしないしドキドキもしないし心配でもない。「何が起ころうとしょうがないじゃん」「でも何か起こるだろうし」っていう感じなんですよね。もう何言われたってしょうがないじゃんっていう。
──ここまでやってるんだから。
紀里谷 俺、掛け値なしに全部自分でやってるって言えるしね。すべてがそうだと思うんですよ、映画だけじゃなくて。ここまで話してるんだから、これで妙に書かれたらもうしょうがないよねって、そういうことなんだと思う。
──ちゃんと伝わりましたよ!
紀里谷 そりゃあ、そうじゃないと(笑)。
──もういけすかない奴だとは思ってないから大丈夫です!
紀里谷 ハハハハハ! やっぱり思ってたんでしょ!
──もちろん思ってましたけど。
紀里谷 かわいそうだよね、俺という人が。(編集者に)思ってました?
編集 いや、『CASSHERN』好き派なんで。
紀里谷 ほら! いるじゃないですか。でも、「好き派」とか言われるんだ(笑)。『CASSHERN』を好きっていう隠れキリシタンのような人たちがいるんですよ。